はるかわ けい のブログ

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発展途上国への援助は本当に必要か ~JICAを訪れてみて~

 

世界には196ヶ国の国々があり、そのうち150ヶ国以上は発展途上国と呼ばれる国々だ。

 

  先日、私は東京都、市ヶ谷にあるJICA地球広場という場所に足を運んだ。子供向けの学習施設のようだったが、JICAという組織そのものに興味があった私は思い切って訪ねてみることにしたのだ。発展途上国と言われる貧しい国への支援を行なっている人たちがたくさんのお話をしてくださった。

 

  イバロイ族〜フィリピンでの事例〜

 話は前後するが、JICAに興味を持ったのは私の通っている学校の先生のある話がきっかけだった。

それは先生が、大学生の時、フィリピンの少数民族とともに暮らしていた時のこと。(何年前の話かな…)

先生は、フィリピンのイバロイ族とともに狩猟をしながら自給自足の生活を約半年間行なったそうだ。その民族は文明から完全に隔離されたところで生活しており、医療などはなく、病気の治療は魔術で行なっているといった様子だ。

ある時、そんなイバロイ族のもとにJICAの人間が訪れ、医療を提供するため、近くに大きな病院を設置したという。イバロイ族の人たちは自給自足の生活をしていたため、現金収入はほとんどなく、病気が建てられていてもとても通える状況ではなかったが、JICAの実績としては、『フィリピンの少数民族への医療の提供』に成功したこととされていた。

 

 私は本当の支援とは何か、大きな疑問を抱くようになった。

水道がなくて毎日水を汲みに行く子供たち、電気が通らないためにろうそくで夜を過ごす人たち。それをかわいそうだと思うのはあくまで、先進国にすむ私たちの考え方だ。ひょっとしたら、発展途上国の人からすると、先進国の人たちは毎朝満員列車に乗ったり、自然環境が悪い場所で生活していることの方が可哀想と思われているかもしれない。実際、マリでの戦死者数より、日本の自殺者数の方が多いことがわかっている。このように先進国だからいい、発展途上国だから悪いという価値観を発展途上国支援は先進国の人々に植えつけているように思う。厳しい環境の中でも幸せな生活をしている人は多く存在し、彼らの多くはそのやり方で何千年もの間平和に過ごしてきたということを忘れてはいけない。世界大戦で失われたものを取り戻す以上の支援は本当にするべきなのか?幸せの定義は国によって、人によって、大きな違いがあるのだ。

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 幸せの国、ブータンのユニークな政策

 ブータン発展途上国にあたる国だが、国民の幸福度が高いことから、近年、幸せの国としても知られるようになった国だ。経済力こそが国の力だという考え方が主流の現代社会において、ブータンのような小さな農業国が幸せの国として評価されることは極めて珍しいことである。そんなブータンが幸せの国と呼ばれるようになったのは主に次の四つの要因があったからだといわれている。

・国の政策として国民の幸せを考えている

・自然と伝統を大事にする考え方が根強い

・国民が贅沢を好まない

・国民一人一人が家族などの人間関係を大切にする

これだけを見ても、経済力を重視する先進国の人とは幸福の定義に大きな違いがあることはあきらかである。

 

 何をもって支援とするか

 そんな幸福の定義の違いについて、JICA(ODA)はどの程度の理解があるのだろうか。本当にその国、その人にあった支援をするならば、イバロイ族に行なったような、現状を無視した支援はしなかったであろう。そんなことについてただ、意見が聞きたくて、JICA地球広場へ行くことにしたのだが、そこでお話をしてくださった方は「私はブータンへは派遣されていないのでそういった国への配慮については分からない」といっただけであった。いかにJICA(ODA)が貧しい人たちの視点に立たずに支援をしてきたかがよく分かった。ただ、JICA(ODA)の中にもそういったやり方に疑問を抱く人は存在し、今後、支援の方向性の転換が進む可能性もあるそうだ。

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 発展途上国が先進国に求める本当の援助とは

では、私たちは何をすれば良いのか。

本質的な支援をするとなれば、他国に頼らずに経済を成り立たせることができるよう、教育や農業などの援助することが第一にあがるだろう。

先進国の人が経営する病院を増やしても、化学肥料を与えても、貿易相手になっても、支援しているはずの村は、支援に依存し、結果として自立できなくなってしまうケースがとても多い。結局は支援自体が先進国の金儲けになってしまうのだ。そういったことを防ぐためにも、支援は永遠に続けるものではなく、あくまでその国が自立するために行なっているという目的を忘れてはならない。またそういった支援ビジネスに頼って生活を成り立たせている日本人が存在していることも大きな問題点だ。援助ビジネスで儲けている人たちは、支援が完了してしまうと、自分たちの職を失うことになるために、正当な支援をしていないという可能性もある。

そう考えると私たちがまずはじめにしなければならないことは、どんなに貧しい国の援助よりもさきに自分たちが自立することにあるのではないかと思う。豊かな国に見える日本だが、それは発展途上国の支援という名のビジネスによって支えられている一面もあるのかもしれない。